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2016年08月27日

すりエンサー! 大宜味・大兼久 豊年祭2016

すりエンサー! 大宜味・大兼久 豊年祭2016

 私の両親は、大宜味村大兼久出身です。そうしたこともあり、「那覇近郊在住大兼久会」の書記を務め、大兼区の歴史や伝統・文化を勉強しています。 
 大宜味村の字大兼久は、昭和21年に字大宜味から分離しました。分離をしても、祭りごとは一緒にやっているようです。

すりエンサー! 大宜味・大兼久 豊年祭2016

 大宜味村には、大漁を祈願する塩屋の『ウンガミ(海神祭)』と五穀豊穣に感謝する『豊年祭』があり、どちらも、地域をつなぎ世代をつなぐ伝統行事となっています。
 今年は、2年に一度の大宜味・大兼久の『豊年祭』があり、8月27日(土)に行われました。

すりエンサー! 大宜味・大兼久 豊年祭2016

踊り手や演奏者が大兼久公民館に集合し、道の真ん中で踊りを披露しながら「道じゅねー」が開始され、会場である字大宜味の「アサギマー」に向かいます。

すりエンサー! 大宜味・大兼久 豊年祭2016

会場は「アサギ―マー」と呼ばれています。

やんばるの神アサギ(今帰仁村歴史資料センターより抜粋)
山原の村々には、神アサギやハサギと呼ばれる祭祀に関わる建物がある。神アサギのある村を「古層の村」と呼んでいる。古琉球の時代から(17世紀以前)からあった村と考えられている。かつては茅葺き屋根で軒の低い建物であったが、現在は瓦葺きやコンクリートになっている。神人たちが祭祀のときに使った施設である。神アサギ内にはタモト木があり、神を招いて座らせたという。以前は香炉もなかったが、香炉が設置されたところもある。神アサギは沖縄本島の北部から奄美の南側にかけて分布している。『琉球国由来記』(1713年)に、当時の村やノロ、そして神アサギ(アシャギ)の存在を確認することができる。
大宜味村域の大半の村(ムラ)は国頭間切の領域であった。大宜味村の神アサギは、今帰仁や本部や羽地、近接している国頭と比べてみても状況が違う。近年だけでなく「琉球国由来記」(1713年)当時からはっきりしない部分が多い。祭祀に向うムラ・シマの人々の特質が表れているのかもしれない。特に生活改善運動との関わりで、祭祀や神アサギを簡略化していった結果かもしれない。字大宜味の神アサギは、舞台兼用(アサギマー)となっている。豊年祭のときは、神アサギを舞台にして、舞台前の広場(アサギナー)ではエイサー(女性だけのエイサー。ウシデークではないか?)が行われます。

すりエンサー! 大宜味・大兼久 豊年祭2016

すりエンサー! 大宜味・大兼久 豊年祭2016

大兼久の7月エイサー(シチグワチイェンサー)
沖縄本島北部西岸では、女性だけが太鼓のみの伴奏で輪になって踊るエイサーが踊られており、我が大兼久の7月エイサーもその一つです。この7月エイサーは、遅くとも明治30年代なかばに成立し、隔年開催の豊年祭りに、女だけが太鼓の(締太鼓)のみの伴奏によって輪になって踊り、曲数が多く、それに合わせた踊りも、白のハンカチ、扇、四ツ竹も用いて20種以上、踊る時間も20分以上です。昔からの曲に、個別に新しい曲を取り入れて独自のスタイルを工夫するようになり、伝承されています。豊年祭で踊る7月エイサーの練習を那覇近郊在住大兼久会婦人部が、一生懸命練習しています。
テープに吹き込んだ太鼓と歌に合わせて、「ホウネンオドリダ、ウムシリムン」「エイサーエイサーヒヤルガエイサー」「スリサーサー、スイ、スイ」「リカチャン、リカチャン」独特な囃子が響く。豊年祭当日は、大兼久区の婦人の皆様と一緒になって団体踊りを演じます。

すりエンサー! 大宜味・大兼久 豊年祭2016






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