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2015年07月05日

那覇軍港移設反対

那覇軍港移設反対
(写真:浦添市キャンプシュワーブ沖の西海岸道路と宜野湾コンベンションの道路を結ぶ建設中の橋)

 那覇軍港は、復帰間もない1974年に移設条件付きでの返還が決まりましたが、実現しないで現在に至っています。
 米軍としては、浅くて狭い使い勝手の悪い那覇軍港のかわりに、原子力空母も寄港するような最新鋭の軍港をが欲しくてたまりません。それで、遊休化していても那覇軍港を返還しません。私たちの願いは、早期全面返還です。

 1995.5.11 日米合同委員会で、はじめてキャンプ・キンザー沖に移設を承認、1996.12.2 SACO最終報告で那覇港湾を浦添埠頭地区への移設することが合意されました。

 当初は、移設に反対していた浦添議会も、1998.9.22 浦添市議会は、浦添商工会議所の「浦添市西海岸開発促進のための提言について要請)」を採択して賛成に回り、同年10.8 県議会が「那覇軍港の跡利用と浦添西海岸開発促進に関する決議」を賛成多数で可決、同年11.15 知事選で革新の大田知事を破り、那覇軍港の浦添移設に積極的な稲嶺恵一氏が当選しました。

 軍港移設に反対する政党市民団体は、1998.12.22に 「那覇軍港の浦添移転に反対する市民の会」結成して、反対運動を行い、軍港移設に反対する宮城健一浦添市長を支えました。

 しかし、2001.2.11 に軍港受け入れの儀間浦光男市長初当選し、ここで初めて、那覇軍港浦添移設に賛成する、沖縄県知事、那覇市長、浦添市長がそろいました。

 移設受け入れの地元浦添市では、浦添商工会議所が西海岸開発が進むことを期待、那覇軍港移設に反対する市民団体は反発を強めました。

那覇港をアジアに通用するハブ港湾として西海岸開発の提言を打ち出してきた浦添商工会議所の又吉英藏専務理事は「市長の正式表明の話はまだ入っていない」と前置きした上で、移設で西海岸開発が具体化することには「西海岸開発は浦添発展の大きな事業。協議の場が設けられたことは一歩前進だ」と歓迎した。
那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会の当山全弘共同代表は、「公約を実行しようとする市長としては当然のこと。驚くには当たらない」と淡々と話した。「港湾計画と軍港の移設は別問題であるはずなのに、振興策はすべて基地と引き換えだ」とうんざりした様子。「軍港の浦添移設はキャンプキンザーの固定化につながる。軍隊は住民を守らないし、浦添の発展にはならない」と批判した。

誘致すれば、未来永劫基地被害が発生します。

 那覇軍港浦添移設を公約として当選した松本市長、その市長から公約を破棄され裏切らた後援会の元役員たち、忸怩たる思いがあることだろう。
 辺野古新基地建設とは違い、那覇軍港の浦添移設については、移設反対のコンセンサスは十分とは言えません。来年の県議選挙や2年後の浦添市長選挙の大きな争点として運動の再構築を行わないといけません。
 そのことを、かくしながら目先の利益で誘致する人たち。騙されないようにしましょう。

浅くて狭い使い勝手の悪い那覇軍港を最新鋭の浦添軍港を誘致しても、浦添市民にメリットがあるとは思えない。
未来永劫基地の負担をおうだけである。


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Posted by masasi at 18:48│Comments(0)平和
 
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